牛馬の療治に関わった者の歴史

牛に膽あり.鹿馬これを欠く.足らぬ故にこれを馬鹿と呼ぶ.牛膽に玉のやうなるものあり.名付けて牛黄.神農本草経に驚癇寒熱,熱盛狂痙を治し,邪を除き鬼を逐うと.また,左経記に河原者の獲りたる牛の珠の事あり.牛黄を獲るは秘伝にして他言無用の秘事なり.以て秘すべし.秘すべし.ヲンロケンジンバラキリクソワカ.

2018年7月17日火曜日

柳澤銀蔵

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安政3年9月6日生まれ。父は越後長岡藩士。明治9年陸軍馬医生、19年三等獣医。26年ベルギー・フランスへ留学。29年帰朝、32年獣医学博士。陸軍獣医学校長、中央衛生会委員を経て盛岡高等農林学校教授に任ぜられる。夫人幸子は深谷氏の出とある。
2018年4月26日木曜日

御大典紀念全国馬匹博覧会秘話「いわしや騒動」

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御大典紀念全国馬匹博覧会秘話「いわしや騒動」 帝都復興の景気に湧く昭和四年のこと、日本獸醫師會はつひに「日本獸醫師會々報」を刊行せり。 時の農林省畜産局長戸田保忠は七行の祝辞を寄せ・・・これはどうでも良い事で、肝心なのはこ の会報の裏表紙なのである。 昭和五年版「覚...
2018年4月24日火曜日

佐藤清明

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「日本獣医師会々報」昭和四年の創刊号にツギのような広告がある。 これだけの人物でありながら非常に情報が少ない。「日本獣医学人名事典」では掲載未完者一覧の中にさえこの名前がない。偶々手許の天金「日本馬政史」や明治二十五年三月の「中央獣医会雑誌第四輯付録日本家畜売買法」を見て...
2017年8月4日金曜日

牛病新書と流行牛病予防説

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「牛病新書」は明治七年三月香雲閣蔵版で静岡・柏原学而訳、陸軍一等軍医正・正六位石川良信閲とある。訳者は十五代将軍慶喜の侍医の蘭学者。「流行牛病予防説」の著もあるところをみると明治初頭のシベリヤ沿岸牛疫流行の折に調査した大学東校の人物とは、まさにこれであろう。獣医学の歴史にはまだ登...
2017年7月22日土曜日

日本馬政史(一)の馬医・伯楽

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「日本馬政史」は社団法人帝国競馬協会、昭和三年五月二十五日発行の不許複製の非売品の書物である。刊行の際の委員は陸軍中将小畑豊之助、陸軍少将石橋正人、獣医学博士新山荘輔、獣医学博士丹下謙吉、獣医学博士勝島仙之介、獣医学博士須藤義衛門、獣医学士広沢弁二、陸軍獣医監内村兵衛、陸軍省馬政...
1 件のコメント:
2017年7月16日日曜日

大正時代の獣医学雑誌「現代の獣医」

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編集兼発行人は山崎英胤である。 現在の獣医師法は戦後占領軍司令部によって制定されたものである。その前の旧法「獣医師法」にも獣医師の名称があるので、この名称は何時から使われ始めたかを調べてみた。外国の制度を取り入れて明治十八年に免許規則が布告された時は『獣医』で、陸軍の馬医と従前...
2017年7月13日木曜日

小澤温吉の馬医、伯楽、獣医

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明治十八年の「大日本獣医会誌」創刊で『我邦維新前に於いては真性の獣医なく唯に伯楽及び馬医なる者ありて・・・陸軍省に於いては明治五年地方有力の馬医を徴して軍馬の衛生治療の事を司らしめ同七年に佛国陸軍獣医アンゴーを聘して獣医生徒を教育し内務省に於いては明治九年英国獣医ドクトル、マッケ...
2017年5月5日金曜日

平仲国とは

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「日本馬政史」の徳川幕府の馬医の所に桑嶋流「伯楽病理口伝」の事が述べられて次のような系図が示されている。 九州肥後平仲国息安国ー伊勢国源道義息尚義ー越後国平盛頼ー備前国平義親ー奥州藤原心海入道息仲時、仲綱の母、息藤原仲綱ー桑嶋平六息藤原宗綱ー天下一桑嶋肥前掾藤原実綱ー桑嶋采女正...
2016年12月28日水曜日

斃牛馬処理における穢多・非人の職域

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かわたの特権・「日本歴史」164

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2016年12月27日火曜日

下小鯖皮番所跡

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下小鯖皮番所 山口に藩庁が移る以前は毛利藩の中心は萩で、萩から瀬戸内海に出る途は萩往還を通って佐々並から山口の上竪小路経由で石州街道に出、これを小郡の方向に少し下って...

死牛馬買仲間について 大阪府大「社会科学論集」6.7

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2016年6月12日日曜日

革工

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増補訂正「工芸志料」は黒川真頼著で東洋文庫として現在でも販売されているが、ネット上では宮内省博物館蔵版・有隣堂明治二十一年十月再版のものが公開されている。この巻五が革工で、ここには昔、百済の工人が革工を伝え、聖武天皇の頃に革工が盛んになると共に、この頃に革工人以外に『諸獣ノ皮ヲ剥...
2016年4月1日金曜日

菊池東水について

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菊池東水 生・没年不明。名、武樹、久之進。一橋家の馬医で太子流。天保年間にオランダの馬医学を学び嘉永五年「解馬新書」を江戸尚古堂より発行。「解馬新書」の序に我が国の医馬の道は大国主命・少彦名命にはじまり、聖徳太子の時代に高句麗の僧・慧慈が橘猪弼に朝鮮半島の馬医術を伝えたと記してい...
2016年1月30日土曜日

ゼンリンの地図から

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一番古い昭和58(1983)年の地図では山口市吉敷下東の屠畜場は山口市屠畜場となっている。1987と1993年は山口県屠畜場、1995年が山口市食肉センターとなっている。
2016年1月24日日曜日

著者の捏造 一画多いと・・・

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問に一画加え間とすると・・・ 間の字の方が刻み憎い。この書の元になる中国本は寳善堂梓とのみあって著者名は無い。日本人による翻刻であるから中国音を記す必要はない。列挙される本屋の名から近世末から明治頃か? 一箇所のみの誤記なら書き込みミスで済むが、三箇所も続くと・・・ ...
2015年11月3日火曜日

馬経諺解

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新聞広告に「馬経諺解」という気になる書名があったので早速に検索して見た。朝鮮本で日本にも幾人かの研究者がいるようである。但しこれらの研究者は殆ど文系の漢学系で、馬医学の関係者はいないようなので、これからしばらく調べて見る事にする。 まず、諺解。「諺解」とは「諺文」すなわちハング...
2015年2月14日土曜日

元亭療馬集とは?

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「古典籍展観入札会」大阪古典会に写真入りで掲載されていた。写真が小さいので正確なことはわからないが「医駝方」と「牛経大全」「元亨療馬集」の合冊に見える。刊年版元の記載がないが書体や図の具合から見て、清期の地方書房の手になるものであろう。学術資料としての価値は殆どなく、骨董品...
2014年6月6日金曜日

平仲国と太子流の由来・日本馬政史より

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平仲国と桑嶋流 「仮名安集」の成立は慶長九年1604年、「若狭国志」に因れば「仮名安驥集」は元雲州の産で京極家の招きで小浜に住す橋本道派・一閑和尚らの刊。平仲国は馬師皇の安驥集を代々伝え、藤原仲綱より道蝸-道派に伝うとある。 桑嶋家伝「伯楽病理口伝」元和六年1620年に本朝伯...
2014年5月12日月曜日

平仲国・桑嶋流は馬師皇系、太子流は別系

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平仲国と桑嶋流 「仮名安驥集」の成立は慶長九年1604年、「若狭国志」に因れば「仮名安驥集」は元雲州の産で京極家の招きで小浜に住す橋本道派・一閑和尚らの刊。平仲国は馬師皇の安驥集を代々伝え、藤原仲綱より道蝸-道派に伝うとある。 桑嶋家伝「伯楽病理口伝」元和六年1620年に本朝...
2014年5月5日月曜日

「日本家畜売買法」中央獣医会雑誌付録・明治二十五年三月

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kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/796389 ‎ 佐藤晴明は「日本馬政史」の編纂主任。前記のデジタル版は正誤表を欠く。
2014年5月4日日曜日

推古天皇三年の事

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三年夏四月、沈水、漂着於淡路嶋、其大一圍。嶋人、不知沈水、以交薪燒於竈。其烟氣遠薫、則異以獻之。五月戊午朔丁卯、高麗僧慧慈歸化、則皇太子師之。是歲、百濟僧慧聰來之。此兩僧、弘演佛教並爲三寶之棟梁。秋七月、將軍等至自筑紫。 日本書紀の記述では馬医も橘猪弼もない。
2014年5月2日金曜日

斃牛馬処理に関する戦前の記録・青空文庫より

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牛捨場馬捨場 喜田貞吉  今もなお諸所に 小字 こあざ を牛捨場または馬捨場と称する所がある。また小字という程でなくても、俗にそう呼んでいる場所が各地に多く、現に昔は死牛馬をここへ捨てたものだなど伝称せられているところも少くない。これは一体どうしたものか。  我が国...
2014年4月27日日曜日

調使丸・厩戸皇子舎人

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聖徳太子・厩戸皇子の舎人に調使丸(麿)がいる。愛馬黒駒の飼育と調教を行った人物。橘猪弼とは別人らしい。皇子の第一夫人は橘大郎女で尾張皇子の娘。
2014年4月25日金曜日

橘猪弼は太子流馬医術開祖?

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http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ya09/ya09_01186/

時重初熊・山口県師範学校同窓会名簿

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時重初熊ら二十二人は第三期明治十年五月二十四日の卒業である.駒場農学校の入学は明治十五年となっている.
2014年4月21日月曜日

軍馬の積み込み

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軍馬はクレーンを使って輸送船に積み込んだようだ。
2014年4月15日火曜日

日本書紀の牛・馬を検索する

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講談社の学術文庫「日本書紀」を読破する予定であったが、もしやと思いネットで検索して見ると・・・ 牛 ▼ 日本書紀 巻第一 神代上 神實已死矣、唯有其神之頂化爲 牛 馬、顱上生粟、眉上生蠒、眼中生稗、腹中生稻、陰生麥及大小豆。天熊人、悉取持去而奉進之、于時...
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