2009年4月7日火曜日

準非人「猿飼」

準非人「猿飼」
高柳金芳著『江戸時代非人の生活』昭和五十一年十月四版雄山閣・東京
◎中世には既に非人が存在する。この身分は戦場における戦死者、屍馬の処理、武具、馬具、 竹細工、履物の手工業を業とする。
◎猿飼の伝説
 猿飼は達磨を職の祖とし、小山判官政氏に始まると云う。『紀伊国名所図会』によれば、 小山判官には二人の息子があり、長男政在には猿を譲り、次男に鷹を譲った。紀伊国那賀郡 山路荘栄谷村。猿飼は弾左衛門支配の穢多と非人の中間の身分。
 猿飼は弾左衛門支配の賎民であったが、髪はざんぎりでなく袴の着用を許され脇差を差 す者もあった。人別帳は弾左衛門支配。
◎家康と猿飼長太夫
 天正十八年(一五九〇)家康江戸入府の時、乗馬の足が痛む。『弾左衛門由緒書』には
一、寅(天正十八年)御入国御時、御馬足痛沓摺皮被仰付、御馬為御祈祷猿引御尋之上、私先祖支配之猿引召連能出、御祈祷仕候処病馬快気仕候。依之為御褒美鳥目頂戴仕候とあり。 
◎天保十四年・阿部正信『駿国雑志』には猿飼頭・滝口長太夫が家康のお召にあずかったのは天正十一年駿府在城の頃とする。猿飼の守護勝先神(日吉山王)の呪を唱え之れを祈 祷し病馬三頭平癒。以来、年々銭四貫五百文と猿の餌豆一俵を賜わり、正月、五月、九月、十二月の各三日に御厩の祈祷を命ぜらる。
学而不思則罔