2016年6月12日日曜日

革工

増補訂正「工芸志料」は黒川真頼著で東洋文庫として現在でも販売されているが、ネット上では宮内省博物館蔵版・有隣堂明治二十一年十月再版のものが公開されている。この巻五が革工で、ここには昔、百済の工人が革工を伝え、聖武天皇の頃に革工が盛んになると共に、この頃に革工人以外に『諸獣ノ皮ヲ剥キ肉ヲ屠ル工人』が出てくるとしている。この工人が『恵止利』で後世に『恵多』と呼ばれるようになったともしている。更に武家社会の時代になる頃、皮を剥ぐ工人は卑しい者として別村落となり、これをエタと呼ぶようになったとしている。その後、徳川家康の時代になると皮剥工は一処に集められて平民とのまじわりを禁止され、長吏(越後の国ではブンジ・ジナコともいう)と称されるようになった・・・としている。正確には慶長五年の『牛馬犬の皮は剥皮工に非ざるよりは之を剥ぎて革と為すことを得ざらしむ』の令である。
学而不思則罔