2017年7月22日土曜日

日本馬政史(一)の馬医・伯楽

「日本馬政史」は社団法人帝国競馬協会、昭和三年五月二十五日発行の不許複製の非売品の書物である。刊行の際の委員は陸軍中将小畑豊之助、陸軍少将石橋正人、獣医学博士新山荘輔、獣医学博士丹下謙吉、獣医学博士勝島仙之介、獣医学博士須藤義衛門、獣医学士広沢弁二、陸軍獣医監内村兵衛、陸軍省馬政課長騎兵大佐市瀬源助、法学士芝山雄三、農林省畜政課長木嶋駒蔵。史料の蒐集先は帝国大学文学部史料編纂掛、宮内省図書寮。宮内省主馬寮。内閣文庫。農科大学。農林省。陸軍省。東京偕行社。上野、日比谷図書館。小笠原伯爵邸。この他に、南部、仙台、津軽、九州関西方面に出張、各種馬所、種馬牧場、種馬育成所都道府県並びに各地産馬組合。
「日本馬政史第壹巻」は有史以前から安土桃山時代までの事が書かれているが、この中に橘猪弼の名は無い。個人名として登場する馬医・伯楽は「吾妻鏡」にある承久三年の友野右馬允遠久、
「兼山記」天正五年の伯楽・道家弥三郎、天正元年「療馬図説写本」の桑嶋新左衛門尉仲綱、「蓋囊抄」文安期の小河乗澄、肥後国平の仲国、安国、眼心である。

2017年7月16日日曜日

大正時代の獣医学雑誌「現代の獣医」

編集兼発行人は山崎英胤である。
現在の獣医師法は戦後占領軍司令部によって制定されたものである。その前の旧法「獣医師法」にも獣医師の名称があるので、この名称は何時から使われ始めたかを調べてみた。外国の制度を取り入れて明治十八年に免許規則が布告された時は『獣医』で、陸軍の馬医と従前の伯楽以外は、お雇い外国人教師も皆『獣医』であった。やがて、軍の馬医は陸軍獣医と名称を変更するが、法律上の職業名は民間と同じ『獣医』である。従って、大正期の獣医学雑誌を読むと、農学士、農学博士、獣医学士、陸軍一等獣医の名はあっても獣医師の名はどこにもない。大正期になって中等学校の中でも獣医養成が出来るようになると、地方獣医の技術は益々低下し、終には農民の評価は近世の伯楽以下になったと、現代の獣医には記されている。この能力低下の問題を解決するために新しい獣医師制度が作られるのが大正十五年四月六日の法律第五十三号である。
学而不思則罔