2013年11月18日月曜日

農文協からの書簡


三百円のスキャナーでも充分使える。ウインドウズ7では面倒な操作が必要だが「シンプルスキャン」ならクリックして開くだけ。

2013年11月13日水曜日

長吏法師考の張里ムマクスシと伯楽

 この記述は「日葡辞書」のYettaと同じである。バクロウには馬口労の字を充てている。
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2013年11月12日火曜日

中世賤民と諸芸能の研究

 第一部 虐げられた人々に「左経記」の河原人を引用している。













牛・馬のナイラの薬の新聞広告。この広告に記載された症状からするとナイラとは上部気道の炎症一般のようである。
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2013年11月11日月曜日

見島牛の肉

 やはり時間と手間をかけて肥育したものでないと肉の風味が良くない。普通の和牛や国産牛も輸入肉と同じレベルで生産されているので、安い輸入肉の方がはるかにお得である。なお、グルメ番組に登場する銘柄牛肉は特殊な方法で肥育された半分病気の牛のもので、見て楽しむだけのものである。
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2013年11月3日日曜日

明治二十五年第五師団軍馬診療録より

偶児謨と診断される症例がある。仏蘭西語のGourme、独逸語のDruse der Pferdeで腺疫のことである。馬の伝染病で原因は細菌。教科書と授業では習ったような記憶があるが、卒業後には予防接種以外に馬の診療を行った事は無い。昭和三十年頃までは農耕牛馬が居たが、耕うん機が急速に普及して姿を消した。直接の原因は自動車が普及して農村にまで入り込むようになると、自動車の音に驚いた牛馬の暴走事故が多発した事である。

2013年8月17日土曜日

斃牛馬の処理と白革師

斃牛馬の処理権は始めは村を単位に付与されたが、やがてこれは芝先株・草場株へと株化されていく。牛馬以外では鹿革を扱うのは白革師でこれは一般人であった。これ以外の革や犬猫の死体の取捌きは雪踏株が行ったとある。出典・岩波新書98「ある差別部落の歴史」

2013年7月24日水曜日

「家畜医範」有隣堂印二種

 

いずれも解剖学巻一の巻末にあるもの.朱印は山口農学校生徒・三好竹太郎所持のもの,紫印は羽淵某所持.前者は明治二十年前半の印刷で鮮明に刷られている.後者はおそらく大正に入ってからのもので,活字は磨り減り,子持ち枠も不鮮明になっている.しかし,二者を比較して見ると,版を組み替えた形跡がないから,ひとつの版木を長い間繰り返し使ったものであることが分かる.
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2013年7月3日水曜日

馬も治せない医者!

と呼ばれるのが右上の人物.アル中のドクターでも腕は立つ.

2013年6月17日月曜日

斃牛馬取扱法・皮手形・馬喰取締法・穢多・長吏について 「日本家畜売買法」より

文政二年九月の津軽藩「馬一件御締方被仰渡書」に『一.斃牛馬皮并角蹄之儀ハ其村庄屋申立ニヨリ其組代官ゟ送書之上皮方へ相納・・・』とその際の皮手形書式がある.納められた皮は穢多に払い下げ,尾は水嚢屋,蹄は鼈甲屋に払い下げるとある.
第四章牛馬商ノ起源・沿革では獣医ノ資格ヲモ多少兼有シタル者が『バクラウ』で馬喰もしくは博労と書く.合類節用集ニ博労ノ本字ハ伯楽,バクラウは伯楽の転訛,他に馬苦郎・馬工郎・馬口郎とも書く.
社会字彙ニ穢多ヲ長吏トイフハ張里ノ誤ナリ張里ハ馬胃ノ名穢多之ヲ兼ルヲ以テナリ・・・その後に浅草新町の弾左エ門の由緒書きがある.

2013年6月16日日曜日

佐藤清明と勝島仙之介


昭和三年帝国競馬協会刊行の「日本馬政史」より転載.佐藤陽次郎は当初編集顧問,後に佐藤清明に代わり編集主任となる.大友源九郎が輔佐。明治二十五年の「日本家畜売買法」にある記述の多くが「日本馬政史」にも見られる.佐藤陽次郎・大正七年「南部馬政史」は国立国会図書館デジタルコレクションに公開。

2013年6月15日土曜日

元亨兄弟肖像

1988年出版の「新刻注釈馬牛駝経大全集」掲載されていた.清代に刊行された版本から転載されたものであるから,想像の肖像である.

2013年3月25日月曜日

特牛皮

浮役として穢多に賦課.正保二年には百枚の特牛皮を『御両国長利皮屋役之儀山口垣之内吉右衛門ニ申付』ている.その後,宝暦四年『御世帯根積』では特牛皮八十七枚余は四十四枚現物納,他は一枚銀六匁の代銀納となっている.更に,文化年間になると現物納は二十九枚となる.

2013年1月20日日曜日

牛馬商の営業と免許規則

明治元年十一月牛馬売買業者に鑑札下付.願書差出し先は会計官御馬方.この時の文面は『馬喰』ではなく『牛馬売買渡世の者』
明治二年六月会計官,明治三年三月民部省,明治四年十二月大蔵省の達では『牛馬売買渡世の者』
明治七年七月司法省の指令では『牛馬売買営業ノ者』となる.

2013年1月3日木曜日

萩城下町絵図・中村源助屋敷

安政元年〜二年の萩城下町絵図の一部.馬医・中村源助の屋敷が記載された部分.真行寺の位置は現在と変わらない.
学而不思則罔