2011年9月9日金曜日

この岩根又重の報文に山口県畜産課の連中と鳥取高等農業学校・本橋平一郎が根拠を糾した

岩根又重は萩で見た牛が朝鮮牛に似ていたと言い逃れをするが・・・実は阿武郡の農業技手から聞いたものでありまして・・・役人の答弁は直ぐにボロが出る.

2011年9月8日木曜日

江戸時代の日本にいた牛の毛色















この他に明治時代のカルテを見ると黒毛が最も多く次が黒白斑毛とある.いずれも角のある牛で,角の無い牛は品種改良によって作られた.萩市・見島に産する牛は角があるが登録は無角和種の協会が行っている.

2011年9月6日火曜日

見島牛は『天然記念牛』?

 一番目の経路は福田茂穂・岩根又重経由で渡瀬荘三郎.二番目は山根直正・渡瀬理学博士の経路である.
福田茂穂は阿武郡農業技手・郡勧業係長で大正十二年十月退官,大正十二・三年に朝鮮ウシに酷似する見島牛を山口県庁の岩根又重調査員に,萩町で見せたとある.山口県庁の岩根又重調査員はこのウシを,内務省史蹟名勝天然記念物調査員・東京帝国大学動物学教室の渡瀬荘三郎博士に報告し,昭和二年六月二十二・三日に現地調査を経て,昭和三年九月二十日に『見島牛産地』に指定された.
山根直正・旧姓山本,大正七年東京帝国大学農学部畜産科卒,大正十五年春まで山口県畜産主任技師.大正十年に自ら調査し,大正十五年五月摂政宮殿下萩行啓の折に純和牛と無角和牛種を照覧に供し,後に文部省天然記念物考査委員(東北大教授)渡瀬理博が調査して『天然記念牛』となったとする.
昭和三年九月二十日の指定に対し,昭和四年に見島のウシを調査した鳥取高等農業学校畜産実験室の本橋平一郎は,昭和五年に山口県庁の岩根又重調査員に書簡を送り,昭和五年八月二日に
一番目の指定経路の回答を得ている.
学而不思則罔