2011年9月3日土曜日

山口市のと畜場


と 畜 場


山口市のと畜場は、古く明治四年に個人が上羽坂に開設したことにはじまり、これをのちに市営としたもので,この他陶地区にもあったが、何れも原始的な施設によるものであり、衛生的な見地からも多くの問題があったので、戦後、急速な国民経済の発展にともなう国民の健康と体位の向上および括動力源としての食肉の占める地位が、飛躍的に高まったのに対し、その需要量の増加を満たすことができなかった。
こうした条件から、市内に近代的な設備をもつと畜場の建設が要望せられていたが、その用地の買収が難航し、なかなか容易に決定しなかったのであるが、ついに昭和三十五年末になって、現在地(市内吉敷下東)に決定し、翌三十六年一月に着工、三千三百万円の建設費をもって、四、七九四平方メートルの敷地に約六三七平方メートルの近代的な設備をもつものがその年十一月に竣工した。
これによって市内の食肉のすべては、ここで処理されることになったが、小動物に換算して、一日一○○頭をと殺する能力をもち、市民の食生活の改善や、栄養保持に大きな役削りを果たしている。
出典 昭和四十六年山口市役所発行「山口市史・各説編」
注記 所在は上羽坂とされるが下羽坂の誤り.

獣医仮免状下付出願手続





2011年8月31日水曜日

平成15年7月20日・山椒の木で動けなくなり救助された和多郎

巣から跳び出した和多郎はすぐ側の山椒の木に登りましたが,どうにも動けなくなったので救助されました.百舌鳥の雛は大変におとなしく,鳴き声をあげる事はしません.黄色い嘴をパクッと開けて餌をねだります.
学而不思則罔