2011年1月1日土曜日

小川流馬道

焼金形法十二之内其形各別也
鶴頭二金者長一尺二寸圓而
峰亀其形似鶴頭故有其名
上下相近不得長金処自傍用
之注云草侘陶隠居愛飼鶴療
馬之時鶴随草侘之命曲頚近之
当彼安穴則得喩子骨葉泉
宛額摺 夜眼掠草固之作其形

○次焦げ篇二金者長一尺二寸其形
平其の峰方温冷寒脉蹄等用之

○注云茴ハ帝始療馬彼馬薄
蹄向 戦石道蹄付猪膏笏灸
令宛之時使解入之後其馬雖趣石
巌頤当病故笏形

○次蓮茎三近者長一尺二寸其形
圓而身諸病要穴遍身前々用之
注云醫王善逝療馬之時真言
爐槽之傍有一蓮華取彼茎其
端温香火宛要穴病則喩故造
也  薬草荒意也
次亀頭一金者長一尺二寸其形如
焦笏峰亦圓也
注云周景王之時王良令醫馬
之灸之刻不用意焼金間既即
可被亀成時御前有一池自水中
亀載焼金来王良取是令灸
窟馬病即喩畢景王見之於
衣重道不二撥

一次燕尾一金者長一尺二寸其形
分焦笏銃鋒骨上之小灸崔舌
籐用是

○注云扁鵲之第宅燕来号居
馬蹄跡尾未見當崔舌即便
千蹄灸故始造之
次蚯蚓三金者又云頚蚯金長
八寸其形茎与鋒共圓眼中并筋
上骨迫痛大焼金之前用是
注云眼有病馬鎮伏テ野草時
蚯来号入眼中時則病喩扁鵲
見是造其形

城嶋源右衛門尉
時実在判
同九兵衛尉
清直
寛永三年十月廿六日相傳是





小川流馬道
安驥五臓十病 寒熱之事

一肝寒両眼ニ光ナシ亦眼青シ脊ヲ蟄
下腹腫口ヲアケス肝ウツケスレハ常ニ驚
走奇足抜立テ亦アユム事堅シタヲレン
トス是者重姿也肝之瘉ヲ灸ス温薬ヲ
飼ヘシ 木瓜実温ニ〆味酸シ末シテ五銭
烏賊骨温ニ〆味酸シ細末〆三銭湯五合
入テ可飼

一肝熱眼飛カエシ足ソラヲフム亦者頭ヲ
地ニ付テ酒ニ酔タル如状亦目赤クシテ泪
在眼腫身メクラス事不定眠ハ重姿也眼
脉の左ヨリ血ヲ出スヘシ冷薬ヲ飼ヘシ礬
砂寒ニ〆味酸シ車前草寒ニ〆味酸シ苦参
寒味苦シ是細末〆各々等分水五合入テ飼ヘシ

一心寒尾ヲ振頭ヲハラウシキリニ肩ヲハナヽカ
ス見帰ル人ヲクラウ如シ常ニ驚是ハ軽姿也
心之瘉ヲ灸スヘシ温薬ヲ飼ヘシ芍薬梅干
味酢シ雲母味甘シ各等分細末〆湯五合 
入テ飼ヘシ

一同熱腹骨ヲクイ喉ム子腫脉大ナリ眠驚
胸前ニアセ流レ口之色赤シ歯ヲクイ頭ヲタレ
テ身之毛ハナヽク尾ヲサシ足不留身之内火
ヲタクガ如是者重姿也胸堂ヨリ血ヲ
出シ冷薬ヲ飼ヘシ大黄寒ニ〆苦シ牛膝平ニ〆
味苦シ酸シ人参寒ニ〆味甘シ各々細末〆水五
合入テ飼可

一脾之寒腰ヲ延尾ヲ振事重シフンヲ下ス亦ハ
ナヽク唇ヲ上テハラウ水ヲ呑神少是ハ重姿也
脾之瘉を灸ス温薬ヲカヘ甘草独活
温ニ〆味苦シ木香温味辛シ各々細末〆湯五
合入テ可飼

一同熱唇頻ウコク尾ヲウツ足蟄臥サントス
亦口スク己腰ヲヨリテヲキフス口の内ニ瘡出ル
事在是者軽姿也尾本ヨリ血を出シ冷薬ヲ
飼ヘシ麦門冬寒ニ〆味甘シ木通各々細末
〆水五合入テ飼ヘシ

一肺寒常ニ腹鳴テ下ス腹腫糞ヲマス煩シ
ハフスル亦皮毛ソンジ息早シ口ヨリ涎タ
ルヽ是者重姿也肺之瘉ヲ灸シ温薬ヲ
飼ヘシ生姜桂心温也栗之子温右細末
〆湯五合入テ飼ヘシ

一同熱遍身ニ汗流事在息早シ亦アハヲ
スク毛之根アク尾髪カレ鼻フキシ鼻ヨ
リ血ヲ出ハナヽキテ足留ス草ヲクラウ事
物ウシ亦四足ヲ上テマロビウツ遍身ニ汗在
是者軽姿也帯脉之右ヨリ血ヲ出冷薬ヲ
飼ヘシ水金寒ニ〆辛シ一銭葛根寒味甘シ
カキドヲリ寒味酸シ是ヲ水五合入テ飼ヘシ

一腎寒重ク後足ヲ立替肩コシ脊腫腹
ヲヒク亦遍身冷ヘラヲ出シ脊ヲ土ニ付テカ
ヘル引ケトモヲキス口之色黒シ是者重姿也
百会腎瘉ヲ灸ス温薬ヲ飼塩流黄温
味酸シ各々細末〆湯五合入テ飼ヘシ

一同熱後足ヲ延テ腰ヲカヽメテ息早シ常ニ
見返水草ニ物ウシ黒血尿ヲ下ス亦フグリ
腫是者重姿也腎道ヨリ血ヲ出冷薬ヲ
飼蛤味酸シ半夏寒味辛シ醤ヲカンニシ
テ味酸シ右細末〆水五合入テ可飼以上
薬一臓腑各々別ナリト云トモ何モ薬可飼也

豊州之住人 忍藤左右衛門尉 在判
筑後之住人 城嶋九兵衛尉  在判
同     吉村勘兵衛尉  在判


寛永拾八年辛巳
十一月吉日

米多比六之助殿











小川流馬道目録
一最初潅頭五条付タ   三ケ条

一舉請本尊       有口伝

一針ヲニキリテ願念   有口伝

一金ヲ取テ願念     有口伝

一臥縄之事       有口伝

一臥庭之事       有口伝

一血之事        大口伝

血留之歌ニ云

血の道ハ父と母との道なれハ
血の道とめよ血之道の神

亦云血留一草在口伝
△馬道目録之事
△秘針秘灸秘薬

一一針者馬之面之巻目也針ヲ右之
手ニテ取左之手ニテ巻目ヲ引
上テ針之先ヲ上ニ問テ針之釵ヲ
大指ニ問テ指也
針ヲ着時一針之本地ヲ勧正申
印ジユヲ唱着ヘシ
右本地    在口伝

一一灸髪根ニアリ馬之耳ヲ髪根ニ
引折耳先之當前ヲ焼也灸治之
時本地ヲ申請印シユヲ唱フヘシ
右本地    在口伝

一一薬者黒モスル也重位之時ハ
白薬 粉薬飼時本地ヲ申請印
シユヲ唱ヘシ

一実死一生之針 大風門也
諸病一大事着願中狂馬ニ
亦血酔一大事之時用也針ヲ入事
五分也秀細在口伝

一上六脉之血留之針大風門之下髪
根ヲ押分針ヲサカサマニ指也針を入事
或ハ三分或ハ五分針遅抜ヘシ有口伝

一下六脉之血留尾之本横手下之毛ヲ
引上針先ヲ上ニ問テ着也針ヲ入時
有口伝

一上六脉之血酔之針両方之耳ヲ二ツニ
折則折メヲ指也駒ハ左駄ハ右
有口伝

一上六脉之血酔之針尾本一寸之向ヲ
サスノ夲ニサス也

一上之向針正心之黒白之中間也水ニ血ヲ
請テ見様 在口伝

一蕷見手之針両方之耳ヲ引違頭
之頂上之中間ヲ指但五分也能々
願念スヘシ

一四分一灸ハ馬之後ヨリ腹骨ヲカソエ
第六七之間両方ニ有但駒ハ左駄ハ右

一労之針耳ヲ後ニ押伏テ耳先ヨリ五
分後ヲ着也亦チクリンヲ下ヨリ上之如
着也馬之血留之時ハ上ヨリ下之如ク針
ヲ着也 有口伝

一五臓之長針之事耳一ツト亦半分之
寸ヲ取テ着髪根飲大筋也是則
肝心脾肺腎ニ相届ニ依テ五臓之長
針ト云也

一血酔マジナウ事之文  在口伝
但口伝云竹之ヘゴニテ耳ヲハジキ文ニ云
○ヲンロケンジンバラキリクソハカ但十二反
駒ハ左
駄ハ右

一血留之薬付時文ニ云
奥山の三谷の底の水見に
口をとむれはおくは留まる
右願念    在口伝

一一薬之歌之事
○飼へは志ぬ飼ねはいきぬ老母草
馬のためには毒か薬か
○飼は志ぬかはねはいきぬ於もと草
馬のためには莉呂をかふへし
右          在口伝

一イロハクハンチヤウ之寒熱ト云ハ
△寒病ハ三ノ一三ノ二二ノ二六ノ二四ノ七六ノ五
四ノ七
△熱病ハ三ノ一三ノ二二ノ二三ノ六一ノ三二ノ四

小川禅師 在判
藤左右衛門尉
藤原朝臣高通在判
城嶋源左衛門尉
時実在判
城嶋九兵衛尉
清直在判
吉村勘兵衛尉在判

貫永拾八年辛巳
十一月吉日
米多比六助殿



柳川藩・米多比家文書の小川流馬道免状.小川は粉河と同じ読み.粉河寺縁起絵巻にあるように,病の療治をこの粉河禅師に関連付けたもの.仏教医学・獣医学の伝来を高僧の名を借りて普及したものと思われる.この他に太子流と称する療治術がある.この太子は弘法太子の事で,大陸から持ち帰った『馬経大全』は東寺の感智院に収めたと記録にある.
学而不思則罔