2010年3月10日水曜日

近世の馬医の修行

現在手許に何冊かの馬医書がある.表紙の裏に長陽幕下村井句聴子と記名があるから,武家の馬医の教科書である.これらの馬医書を捲って見ると,どうやら,馬医の修行は馬書の筆写から行われたようである.最初が相馬,馬の外貌と飼育方法に関するするもので,簡単な生理学内容を含んでいる.しかし,近世の馬医は腑分けを行わず書物からの知識を学ぶから,内容は東洋医学的な陰陽五行論となる.当時,鍼灸経絡の説は既に伝来しているから,臓腑の名称の記載もなされているが,現在の解剖学的臓器名と異なるものである.ここ迄が初伝で,かつての四年制大学獣医師養成課程教育の,2年次に相当する部分と同じと考えられる.次年からは病理と診断術を学ぶようである.○○の臓腑の病の時の証とは・・・病名は東洋医学的症候名であるから,現在使われている病名と名前は同じでも概念は大きく異なっている.更にこれに加えて本草(薬学)を学んでいる.これまでが中伝で,四年制では三年次の課程に相当する.但し馬医には公衆衛生の知識は必要ないから,この関係の修行は全く無い.最後が療治術を学んで皆伝となるようである.馬医は武家の家職で,藩には流派の異なる馬医が複数居た.村井句聴子は他流派の馬医書も借りて書写しているから,修行の方法は流派によって少しは差がある程度でが概ね同じであったと想像される.療治の対象は藩主の騎馬であるが,その他上流武士の持ち馬も療治している.百姓の駄馬は療治の対象外で,民間の家畜は伯楽または村の医者が療治している.彼等は書物に依る学問はなく無学文盲の輩と伝えられているが,実は親方から馬医と同じ水準の座学を学び,更に腑分けを行って解剖・生理学を学ぶから,実際の学問的水準は,こちらの方が優っている.武家の馬医は馬の胆の腑の病を平気で診断するが,伯楽は牛馬の構造・生理を知った上で療治を行っている.なお,明治期の村医者の診療簿には牛や馬への投薬と藥代の集金がしばしば登場するから,人医も家畜の療治を行っていたようである.

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学而不思則罔