2012年7月14日土曜日

防長勧業会報第五十二号 明治三十一年四月二十五日発行 ヤンソン博士の牛疫談


防長勧業会報第五十二号 明治三十一年四月二十五日発行
ヤンソン博士の牛疫談
本稿は博士が大阪府下に出張し牛疫に関して談話せられたるを筆記したるものなり畜産家の参考になるべき節多ければ号を逐い之を掲載することとなす
私は茲に牛疫の性質に就いて少しくお話し致します此牛疫と云う者は日本であっても欧羅巴であっても決して土地から湧出したり或は気候の為に発生する者でなくして必ず牛疫の病毒が牛から牛へと移るのである而して此牛疫の黴菌と云うものは如何なる法を以て見ても決して之はどう云うものであると云うことの見分けが出来ぬ虎列刺の黴菌とか或は肺結核の黴菌とかの如きは立派に之を研究し得たけれども牛疫の病毒に至っては今日まで如何なる方法を以て発見することが出来ぬ虎列刺の「コンマ」黴菌や結核の黴菌は今日の顕微鏡を以て立派に分かるけれども牛疫の病毒は今日の顕微鏡を以て如何なる形態を有するものであるかと云うことが分からぬ有名なる「コホ」先生は既に虎列刺でも肺結核の黴菌でも自ら発見せられたけれども牛疫の黴菌は未だ発見することが出来ぬ今は英吉利政府から嘱託を受けて阿非利加へ行って牛疫のことを研究しつつあるのです要するに今日の顕微鏡の装置は牛疫の病毒を発見するだけ充分に巧みには出来て居らない併しながら牛疫が分からぬと云うばかりでなくして猶家畜の中には最も恐ろしい鵞口瘡とか又は羊痘の如き疫病がある斯の如き病が一たび畜類に発したならば実に猖蕨を極めるものであるが夫れ等の病の黴菌も又牛疫と同じく発見が出来ないで居る何しろ形はあるに相違なければ若しも濾過法に縁り之を濾過して立派に発見することが出来たならば或は発見が出来るかも知れぬけれども未だ其の法とても発見が出来て居ない
牛疫と云う此位恐ろしい病気はない人間の病気であっても畜類の病気であっても此位伝染力の強い恐ろしい病気は世の中にない.此牛疫の黴菌は或は揮発になることもあるが多くは固定のものであって若しも之を立派に保存して置けば一年間位は生て居るものである又或る場合に於いては甚だ速やかに死んでしまって再び発生せぬことがある全体牛疫の黴菌は空気に触れしめすに居ったときには大変命が長い例之牛に与える食物或は人間の着物等に付いて居って空気に触れぬ場合には其病毒が長く生きて居る亦た一度牛疫が牛舎に発生して其牛舎の中の床とか壁とか天井とか牛の御具とかに病毒が附いて居ると長く其病毒が生きて居るので詰まり其所が消毒不充分であったら再び牛疫が発生すると云うことになって居る牛疫の病毒は如何にして全く消滅するものであるかと云えば第一に空気に触れしむる事空気に触れしむると病毒が弱くなる第二には高度の熱を与えること焼き殺すのです第三は冷却すること即ち氷点以下二十度位にする併しながら此の冷却することは余り功がない先ず速やかに病毒を消してしまうと思えば薬の力を用いるより外はない其薬は常に使うところの根魯児である根魯児は瓦斯体にもなるし容体にもなる又粉末にもなる,それから昇汞水石炭酸の溶液此の如き薬が皆牛疫の病毒を速やかに撲滅するだけの功能がある(未完)
之れより此牛疫は如何にして媒介されて他の牛に移るかと云うことが最も必要であるからそれをお話し致します先つ一番能く病毒を運搬するのは牛の糞或いは牛から出る所の乳汁其他吐いたところの唾又は生まの肉とか生皮と云う様なるものが病毒を運搬する好材料である其他反芻獣例えば羊とか又はそれから得たところのかわ肉が矢張り病毒を他へ移す媒介物となるそれから鹿や羚羊なども同じく媒介物である阿非利加で牛疫の病毒がどうしてそんなに,ひどくなるかと云えば阿非利加には羚羊が沢山居る其羚羊が牛疫に罹って居る牛の群に這入って遠方に逃げるから牛疫の病毒が遠方まで伝搬して来る夫れ故に独逸政府は阿非利加に在る独逸の植民地へ総て其地方の羚羊と云うものは悉く叩き殺してしまえと云うことを命令して,そう云う風にやって居る叉人間の着物履物が実に危険であって此着物から移ったと云うことがある和蘭ではでは乳を搾るのは皆女です女が皆乳を搾って居る丁度和蘭は独逸と国が接近して居るが或年和蘭に牛疫が流行したときに独逸の区域内に祭礼があった其和蘭から一人の女が来た為に其病毒を独逸へ持って来て牛疫が流行したと云うこともある次に叉た鼠や犬が牛疫の病毒を他へ移すことがある併しながら馬や豚の様なものは余り他へ移すことはないが鼠と云う奴は色々様々な病気を他へ移すために余程危険なもので旋毛虫と云う豚に大変恐ろしい寄生虫がある,そう云う虫は多分鼠が持って来るであろうと云う学者のである叉た「トリヒナ」と云う虫が人間には虎列刺の如き恐ろしい病気である其病気の発した原因を調べて見ると豚の肉を喰った為めで豚は大変に鼠を喰うことを好むとす其鼠に「トリヒナ」と云う虫があるから遂に此人間に移ったと云うことがある殊に面白いは此頃大変に流行する黒死病です彼の黒死病の流行するときには必ず其前に鼠が,そう云う病気に罹って居る是実に奇体で黒死病の流行を予知するだけの価値があると云うことが立派に新聞雑誌に出て居るこれに依て考えると或いは黒死病と云う恐ろしい病気は人間の身体に発生するものでなくして鼠の方から人間に移されるのかも知れぬ此鼠が牛疫の毒を牛に移すと云うことは例之一牛舎に在るところの牛が牛疫に罹って其牛舎の中は牛疫の毒一面になって居る其場所を鼠が歩けば足に付く其足で叉た,こちらの牛舎へ来て藁や草の上を歩く,すると藁や草に毒が着きましょう其藁を牛が喰う,それが為に牛疫が発する,こう云う順序に鼠が牛疫の媒介物となります叉鼠でなくして牛に食わす食物即ち藁や秣の様なるものが牛疫の毒を他へ移す媒介となることが屡々ある殊にこの藁や秣の様なもの牛疫の毒を大変遠方のところまで持て行ったと云う例が沢山ある或牛舎に牛疫があって其上に藁や秣が積であったところが下の方は充分に消毒したけれども上の方は藁や秣は其儘にして置て一年の内に再び其牛舎に牛を入れた其時に叉牛疫が発したと申しますが左すれば牛疫の毒が上の藁や秣に着いて居ったと云うことは明らかです之は誠に適切なる例である,それから牛舎におって牛に食物を喰わするところの桶などは消毒を充分に為ないために牛疫の再発したことが屡々ある
欧羅巴などでは鉄道の貨車に牛を入れて遠方へ送る其牛中に牛疫に罹ったものがあるときは其消毒を充分にしない為に遠方へ病毒を移して牛疫の発生したことが度々ある学説に據りますと此牛疫の毒が一旦空気中に這入って来ると,それより凡そ五間程の周囲には病毒が這入って居る若し風でも吹けば五十間位は,ずっと向うまで病毒が行くであろうと云うことです
先ず牛疫が牛の身体へ這入って来る塩梅は最初に病毒が鼻腔より肺臓へ這入る,それから血液の中に入り,それから,ずっと身体中総ての部分に広がって来る殊に此牛疫は身体を侵すのは多くは粘膜面が一番能く侵されるのが奇体である中にも小腸,口腔粘膜が最も能く侵される大概牛疫に感染して愈々発病する,その間は多くは一週間前後です
牛疫に罹って第一現れる所の症状は総ての熱性病の兆候にして食欲欠乏し反芻作用なくなってしまう第二は呼吸器に発する症状で咳が出るとか或いは叉呼吸が困難に成て来ると云う様なことで第三は消化器に於ける症状で初めは下痢はしないが次第に下痢して遂には赤痢の様になって来て其他外部即ち皮膚に発疹する様なことがある叉た腔の近傍にも,そう云う発疹が起こる然れども斯の如き症状は必ずしも牛疫の特徴と云う訳ではない他の熱性病或いは其他の病気にも,こう云う症状が起こる而して牛疫の特徴とすべきものは即ち口腔粘膜に於ける粘膜上皮の剥脱して来る特種の変状で,これが牛疫の一番の特徴と云うものである,そう云う症状は必ずある者であるけれども或る場合に於いては立派な牛疫であっても其症状のないときがある其無いときには死体解剖をして果たして牛疫で有るかないかと云う事を鑑定をしなければならぬそれでこれは牛疫で有るか無いか愈々分からぬと云うときには死体を解剖するより外に仕方は無い(未完)続きは獣医学・獣医術の歴史のPDF版でご覧ください.

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学而不思則罔