平仲国と桑嶋流
「仮名安驥集」の成立は慶長九年1604年、「若狭国志」に因れば「仮名安驥集」は元雲州の産で京極家の招きで小浜に住す橋本道派・一閑和尚らの刊。平仲国は馬師皇の安驥集を代々伝え、藤原仲綱より道蝸-道派に伝うとある。
桑嶋家伝「伯楽病理口伝」元和六年1620年に本朝伯楽開起平仲国也とある。
桑島家の系図は
九州肥後平仲国息安国-伊勢国源道義息尚義-越後国平盛頼-備前国平義親-奥州藤原心海入道仲時-仲綱の母-息藤原仲綱-桑嶋平六息藤原宗綱-天下一桑嶋肥前掾(昔の国司三等官の名)藤原実綱-桑嶋采女正藤原重綱とある。
太子流は承応元年1652四月望日相伝「馬病療治書」一名「療馬元鑑集」の由来に『人王三十一代敏達天皇五世孫井手左大臣橘諸兄公末孫、山城国自水野里出、尾州知多郡小川村一色住人、水野下野守、末孫喜心より馬医道伝来、然る後宮崎勘右衛門伝受後鈴木五助伝当家為秘書』
いずれも「日本馬政史」より。九州の平氏とは壇ノ浦の合戦の落ち武者であろうか?
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