日本列島中央部を支配下に置く政権が成立して行く時期は、騎馬の術は征服者の重要な支えとなった。律令国家の成立以後も支配組織にはウマによる駅伝の制度が不可欠で あった。国家の飼育した動物は、ウマ、タカ、ブタ、イヌ、ウシで、猪飼・犬養の部民はブタ・ イヌの飼育を担当した職掌である。ウマとウシは牧で飼育されていた。国家の飼育する動物は社会の上層部に所有され、飼育担当者は動物への優越感を持つと同時に憐愍の情をも生 んだ。また、狩猟は君主の大権となった。
◎氏姓制度の部民。農民や技術者は氏姓制度の政治体制では地方の豪族である国造、県主稲置、伴造の配下となる。品部とは職能部民。中央の有力な臣は平群・葛城・蘇我、連は大伴・物部・中臣。
氏姓制度の身分・地位は世襲されたが、官僚制度の位階は一代限りであった。冠位十二階は大化の改新後位階を増し大宝律令の完成時には三十階となった。氏姓の制度は685年に八色の姓となった。やくさのかばね
仏教の伝来 538年あるいは552年とされている。六から七世紀の渡来人は韓民族の王族や 文化人に技術者が中心である。五経博士、司馬達等、易・暦・医博士等で飛鳥文化の形成に 貢献した。
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