牛黄考
牛黄の歴史
牛黄は「律令」に、「凡そ官の馬牛死なば、おのおの皮、脳、角、胆を収れ、若し牛黄を得ば別に進れ」と記されている。中国では『神農本草経』に,5世紀頃の北インドの大乗仏教の経典『金光明経』にもサンゴロカナスクリット語で牛黄の記載があるが,六世紀まで日本列島に牛はいないから,牛黄は仏教医学と共に我が国に伝来したものであろう。
近世の寺島良安の『和漢三才図会』の牛黄は明らかに牛の胆嚢結石で鮓莟ヘイサラバサラや,鹿玉(ロクギョク)、狗宝(コウホウ)、馬墨(バボク)は他の種類の結石である.馬鹿は胆嚢が無いので胆石が出来ることはまず無い.狗宝 は石淋を患いとあって,記述の色からしてもこれは明らかにカルシュウム系の膀胱結石である.寺島良安の医学知識は病理解剖学の無い理論漢方医学の時代であるから,この様な誤りを生じるのもやむを得ない.ヘイサラバサラについては明治期の「農務顛末」に京都府からの問い合わせがあり,駒場農学校の須藤義衛門が馬糞石として詳細に解説している.古い文献を紐解けば,平安時代中期の貴族・源経頼の『左経記』(内外書籍株式会社刊「史料大成4」矢野太郎解説)には,長和五年正月二日丁未の記録に『河原人が斃れ牛を処理したところ,腹綿(ハラワタ)の中に黒玉があったのを,河原人が持ち去ったので,河原人を詮議して提出させると,まさしく牛黄であった.その大きさは玉子ほどで,色は黒色の貴重な牛黄であった』・・・とあり,この当時すでに牛の胆石が貴重な薬であることを明らかにしている.なお,この時の牛黄は玉子大と記録するから,これは胆嚢に出来た大きなビリルビン胆石で,普通に得られる小さな粒の牛黄や,胆管中の管牛黄(クダゴオウ)ではない.
牛黄は「律令」に、「凡そ官の馬牛死なば、おのおの皮、脳、角、胆を収れ、若し牛黄を得ば別に進れ」と記されている。中国では『神農本草経』に,5世紀頃の北インドの大乗仏教の経典『金光明経』にもサンゴロカナスクリット語で牛黄の記載があるが,六世紀まで日本列島に牛はいないから,牛黄は仏教医学と共に我が国に伝来したものであろう。
近世の寺島良安の『和漢三才図会』の牛黄は明らかに牛の胆嚢結石で鮓莟ヘイサラバサラや,鹿玉(ロクギョク)、狗宝(コウホウ)、馬墨(バボク)は他の種類の結石である.馬鹿は胆嚢が無いので胆石が出来ることはまず無い.狗宝 は石淋を患いとあって,記述の色からしてもこれは明らかにカルシュウム系の膀胱結石である.寺島良安の医学知識は病理解剖学の無い理論漢方医学の時代であるから,この様な誤りを生じるのもやむを得ない.ヘイサラバサラについては明治期の「農務顛末」に京都府からの問い合わせがあり,駒場農学校の須藤義衛門が馬糞石として詳細に解説している.古い文献を紐解けば,平安時代中期の貴族・源経頼の『左経記』(内外書籍株式会社刊「史料大成4」矢野太郎解説)には,長和五年正月二日丁未の記録に『河原人が斃れ牛を処理したところ,腹綿(ハラワタ)の中に黒玉があったのを,河原人が持ち去ったので,河原人を詮議して提出させると,まさしく牛黄であった.その大きさは玉子ほどで,色は黒色の貴重な牛黄であった』・・・とあり,この当時すでに牛の胆石が貴重な薬であることを明らかにしている.なお,この時の牛黄は玉子大と記録するから,これは胆嚢に出来た大きなビリルビン胆石で,普通に得られる小さな粒の牛黄や,胆管中の管牛黄(クダゴオウ)ではない.
牛黄とは?
牛黄は牛の胆汁色素のビリルビンとビリベルビンが固まったもの(結石)である.本来液体の色素が固体に凝結するためには,核となるものが必要となる.核の殆どは肝臓に寄生する吸虫・肝蛭の卵である.肝蛭は肝臓や胆管に寄生する吸虫類で,成虫の産んだ虫卵は胆管・胆嚢を経て胆汁中に排泄される.従って,胆嚢中に出来る色素結石は1cm程の大きさで数が多くなる.左経記や和漢三才図会にあるような鶏卵大の大きさの結石となれば,その値は黄金以上のものと言われる.
漢方薬の牛黄のいわれ
牛の胆汁色素が凝固したもので色がその磐余と考えやすいが,じっさいは褐色から黒に近い色調である.実は黄の由来は胆石を病む牛の症状から付けられたものである.牛が胆石症を病むと,痛みから吠えるようになり,末期に黄疸が出て目の粘膜が黄色に染まるものを黄の病と呼ぶと,多くの牛療治書に記されている.牛黄とは黄病の牛の胆中にあるもので,その色や形から付けられたものではない.牛の内臓中の結石の一般名称は玉(タマ)で,漢方薬の牛黄とは異なる物である.
牛の胆石症が黄の病なら,人の胆石症は癪である.俄の癪に印籠の熊の胆(胃)を服ませて・・・実は有効成分はどちらも胆汁色素で,化学名はデスオキシコール酸とケノデオキシコール酸,現在では合成品がウルソ等の名前で局方の利胆剤として市販されている.
現在の漢方医学では牛黄は人参と並ぶ重要な薬物で,多くはオーストラリアからに輸入に頼っている.特に国産の牛黄は和牛黄と呼ばれて高価格で取引されたが,現在では使役牛の食肉化がなくなり,乳牛の肝蛭にも効果的な駆虫剤が出来て,天然の和牛黄は得難いものとなっている.
道路を使う運搬には馬借と車借があり,牛車は馬借の五倍の荷物米十俵を運べる.馬借には伝馬と中馬がある.中馬の一日の行程は二十から三十貫目の荷で八里.騎馬のみの移動なら,日に二十里ほど.運送馬の餌は,朝フスマ一升切り藁ザル半分,昼麦二升,夜大麦五升を煮て切り藁に混ぜ二度に与える.
乳牛院
- 別当
- 乳師長上
- 乳戸
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