2009年3月29日日曜日

天狗の足あと

天狗の足あと 

 むかし、美濃国の部落では、村々の斃馬をさんしょ、傷病馬をせっぱくと呼んで、ことごとく引き受けるしきたりじやったとよ。
 なんせ斃馬の皮だけ目につけとったで、丈夫で生きとる馬や牛を、わざわざ落とすなんぞ、ほってもなかったでな、役人は部落に斃馬だけを始末させといて取締ったとよ。
 馬や牛を養う百姓や士分は、それが死ぬと、村方や上役に届け出て検分を受け、いずれも部落の世話役に知らせて、双方におのれ勝手な真似をさせんなんだと。
 斃馬を受け取った部落では、皮を塩漬けにするまでが仕事で、その先きは他領の部落のなめし屋へ送ったが、やがて皮革の値がつり上るにつれて、おのれの欲が先きに立ってな。斃馬が出たと、いち早く聞きでかした部落のもんが勝手に駆けつけ、百姓もまた村方にかくれて取り引きしたで、これを部落ではさんしょの拾い得、首姓は捨て得と呼んだとよ。
 拾い得に役人の咎めがないと見定めると、部落の金持ちは人手を使って、大びらに村々の斃馬さがしに目を配ったが、そのうち、岐阜あたりの部落に、佐吉という目はしのきくじんがおってな、拾い得の人足に使われとったと。
 世間は昨今、天狗党の噂でひっくり返えっとってな、やれ、昨日は行列が高富村へ向けて芥見村から長良川を押し渡ったが、なかに白髪あたまの婆さがおって、これが巧みに馬をのりこなし、天狗党を指図して川越えさせたげな、なぞと噂を聞くたんびに、天狗党よりも婆さが乗った馬に気をひかれたとよ。
 戦する気で行列組んで諸国を押し渡るからは、乗る馬、引く馬も連れとるで、これから先の道中で、かならず斃馬が出るじゃろとな。もうけ話に連れはいらん、斃馬はぜんぶ拾い得とばかり、たった一人で天狗党の後を追ったと.
 根尾村の道をあっちこっちと目を配って念入りに探しまわって歩いたが,まずは冬枯れの尾根道に猫の仔一匹落ちとらなんだと.
 たどりついた根尾村は,大雪で,親が懇意な猟師に聞けば,天狗党は今朝がた雪掻き分けて出立したと.
 あわてて村のはずれから、越前ごしの谷間の一本道を追ったらば、三尺ばかりの狭い雪道を、板ほどにも踏みしめた天狗党の足跡のなかに、馬沓の跡も残っとったと。
 ここまで追って来たからは、せめて斃馬の一頭でもと、耳たぶ握って走ったらば、目もくらむような崖っぷちの金具ん下に、
 「あった、あった」
推量どおり馬が落ちとったと。
はるか河原の雪の上に、ぴ-んと四つ足を空へ突っ張って、藁馬みたいにひっくり返ったは、深しあぐねた斃馬じゃったと。
 あたりに馬の荷が散らばって、崖の上から細引きが一本垂れたまんまのありさまは、馬を落した誰れぞが泡喰って崖の中途まで降りてはみたが,余りの高さに胆をつぶしてあきらめたな、と見てとったと。
 佐吉も切ない思いでな。
 この大雪の最中に四、五丈もある崖下の斃馬や荷物が拾えるはずも、運べるはずもなかったで。
 雪解けの春まで待っとっても、河原の斃馬は鳥やけものの餌食になって、残るは骨ばっかじゃ.
 ああ、この世はどいつもこいつもこのおれに、銭もうけさせんように出来とるわ、とな。
 あきらめも早いじんで、すぐさまその場から引き返したとよ。 途中、雪道に突き立ててあった槍の柄を拾ってな、かついで家へ戻ったが、戸口の隅の暗いところへ天びん棒と一緒に立てかけといたと。
 昭和のはじめにな。
 佐吉爺さんの三〇何回忌の法事をするとて親類一同が集まったと。
 戸口の隅を片づけとったら、爺さんの一つ話に聞いた槍の柄がほこりにまみれて出てきたと。
 越前の部落から嫁に来とったかかさが話を聞いて、
 「わしの姥さが娘のころ、仲間の娘と連れだって、海岸ばたの松原へ松ご掻きにいってな。
 熊手で松ごを掻いとったら、熊手の先きがにわかに重うなって動かなんだと。
 力をこめて引っばると、熊手の先きに髷がからんだ生首が二つも転がり出たとよ。
 にきで松ご掻いとった娘の熊手にも、また一つ生首がかかってな、こっちは髷が皮ごと抜けたんで、はずみを喰って尻もちつくやら、叫ぶやら、いずれの首も両眼を見開いて、泥のつまった口をばっくりあけとったと。
 べったり腰を抜かしたまんま震えながらも辺りを見廻したらば、数の知れんほど埋められた者の先が、まるで枯草を敷いたように砂の上でなびいとったとよ。
 娘二人はな、松原の俄作りの首打ち場の真ん中で、松ごを掻いとったんじゃと。それいらい、婆さはな、自分の髪の毛でさえ気分を悪うして、思い出すたんび熱を出したそうな」とな。
越前ごえした天狗党が、部落のにきの松原で一人残らず首打たれても、
そりや覚悟の上じゃで構わんが、この槍の柄の持ち主も覚悟さだめて死ねたじゃろか、なにも供養じゃと一同して、習い覚えた経をあげたと。


解説と考察

➀美濃国の部落では、村々の斃馬をさんしょ、傷病馬をせっぱくと呼んで、ことごとく引き受けるしきたり さんしょの意味は不明.せっぱくは切迫.傷病家畜の一部は獣医師の診断により切迫屠殺が可能である.と畜場法第九条 二 獣畜が不慮の災害により負傷し,又は救うことができない状態に陥り,直ちにと殺することが必要である場合. 三 獣畜が難産,産褥麻痺又は急性鼓張症その他厚生省令で定める疾病にかかり,直ちにと殺することが必要である場合. 四 遠洋航路を航行する船舶内・・・
②馬や牛を養う百姓や士分は、それが死ぬと、村方や上役に届け出て検分を受け、いずれも部落の世話役に知らせ・・・穢多には斃牛馬の無料取得権がみとめられている.


③斃馬を受け取った部落では、皮を塩漬けにするまでが仕事で、その先きは他領の部落のなめし屋へ送った・・・なめし屋はこのほかに猟師からも動物の毛皮を手に入れている.なめし屋は原皮を水に浸して戻してから脳漿鞣を行った.この鞣方は古くからのもので1950年代頃まで行われていた.

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学而不思則罔