牛に膽あり.鹿馬これを欠く.足らぬ故にこれを馬鹿と呼ぶ.牛膽に玉のやうなるものあり.名付けて牛黄.神農本草経に驚癇寒熱,熱盛狂痙を治し,邪を除き鬼を逐うと.また,左経記に河原者の獲りたる牛の珠の事あり.牛黄を獲るは秘伝にして他言無用の秘事なり.以て秘すべし.秘すべし.ヲンロケンジンバラキリクソワカ.
2013年11月13日水曜日
2013年11月12日火曜日
2013年11月11日月曜日
2013年11月3日日曜日
明治二十五年第五師団軍馬診療録より
偶児謨と診断される症例がある。仏蘭西語のGourme、独逸語のDruse der Pferdeで腺疫のことである。馬の伝染病で原因は細菌。教科書と授業では習ったような記憶があるが、卒業後には予防接種以外に馬の診療を行った事は無い。昭和三十年頃までは農耕牛馬が居たが、耕うん機が急速に普及して姿を消した。直接の原因は自動車が普及して農村にまで入り込むようになると、自動車の音に驚いた牛馬の暴走事故が多発した事である。
2013年8月17日土曜日
斃牛馬の処理と白革師
斃牛馬の処理権は始めは村を単位に付与されたが、やがてこれは芝先株・草場株へと株化されていく。牛馬以外では鹿革を扱うのは白革師でこれは一般人であった。これ以外の革や犬猫の死体の取捌きは雪踏株が行ったとある。出典・岩波新書98「ある差別部落の歴史」
2013年7月24日水曜日
「家畜医範」有隣堂印二種
2013年6月17日月曜日
斃牛馬取扱法・皮手形・馬喰取締法・穢多・長吏について 「日本家畜売買法」より
文政二年九月の津軽藩「馬一件御締方被仰渡書」に『一.斃牛馬皮并角蹄之儀ハ其村庄屋申立ニヨリ其組代官ゟ送書之上皮方へ相納・・・』とその際の皮手形書式がある.納められた皮は穢多に払い下げ,尾は水嚢屋,蹄は鼈甲屋に払い下げるとある.
第四章牛馬商ノ起源・沿革では獣医ノ資格ヲモ多少兼有シタル者が『バクラウ』で馬喰もしくは博労と書く.合類節用集ニ博労ノ本字ハ伯楽,バクラウは伯楽の転訛,他に馬苦郎・馬工郎・馬口郎とも書く.
社会字彙ニ穢多ヲ長吏トイフハ張里ノ誤ナリ張里ハ馬胃ノ名穢多之ヲ兼ルヲ以テナリ・・・その後に浅草新町の弾左エ門の由緒書きがある.
第四章牛馬商ノ起源・沿革では獣医ノ資格ヲモ多少兼有シタル者が『バクラウ』で馬喰もしくは博労と書く.合類節用集ニ博労ノ本字ハ伯楽,バクラウは伯楽の転訛,他に馬苦郎・馬工郎・馬口郎とも書く.
社会字彙ニ穢多ヲ長吏トイフハ張里ノ誤ナリ張里ハ馬胃ノ名穢多之ヲ兼ルヲ以テナリ・・・その後に浅草新町の弾左エ門の由緒書きがある.
2013年6月16日日曜日
佐藤清明と勝島仙之介
昭和三年帝国競馬協会刊行の「日本馬政史」より転載.佐藤陽次郎は当初編集顧問,後に佐藤清明に代わり編集主任となる.大友源九郎が輔佐。明治二十五年の「日本家畜売買法」にある記述の多くが「日本馬政史」にも見られる.佐藤陽次郎・大正七年「南部馬政史」は国立国会図書館デジタルコレクションに公開。
2013年6月15日土曜日
2013年3月25日月曜日
2013年3月13日水曜日
2013年2月23日土曜日
2013年1月20日日曜日
牛馬商の営業と免許規則
明治元年十一月牛馬売買業者に鑑札下付.願書差出し先は会計官御馬方.この時の文面は『馬喰』ではなく『牛馬売買渡世の者』
明治二年六月会計官,明治三年三月民部省,明治四年十二月大蔵省の達では『牛馬売買渡世の者』
明治七年七月司法省の指令では『牛馬売買営業ノ者』となる.
明治二年六月会計官,明治三年三月民部省,明治四年十二月大蔵省の達では『牛馬売買渡世の者』
明治七年七月司法省の指令では『牛馬売買営業ノ者』となる.
2013年1月3日木曜日
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学而不思則罔