2017年8月4日金曜日

牛病新書と流行牛病予防説

「牛病新書」は明治七年三月香雲閣蔵版で静岡・柏原学而訳、陸軍一等軍医正・正六位石川良信閲とある。訳者は十五代将軍慶喜の侍医の蘭学者。「流行牛病予防説」の著もあるところをみると明治初頭のシベリヤ沿岸牛疫流行の折に調査した大学東校の人物とは、まさにこれであろう。獣医学の歴史にはまだ登場した事のない書である。
「牛病新書」の内容について更に調査してみた。緒言で訳者は『一牛医学モ亦自ラ人間有用ノ一学ナリ然ルニ吾邦未タ其学ヲ講シ其術ニ習フ者アルヲ聞カス・・・蓋シ予固ヨリ牛医タラン事ヲ欲スル者ニ非ス・・・』と述べ、原本は1866年のオランダ獣医学校教頭プロプァーニューマンの家畜医書第六版とある。
注目すべきは『牛医』の名称である。明治始めのこの時期に職名としてあったのは『馬医』で、それ以外は『伯楽』か『馬喰』程度である。正式に獣医の名称が用いられるのは、明治十四年からで、免許制度の制定は明治十八年からである。
「流行牛病予防説」との関連もあるので巻ニの第五章『牛疫即チリュンデルペスト』にも目を通したが、太政官布告にあるような予防法は記載されていない。
獣医免許制度制定直後、日本の獣医学はドイツ式が主流となるために、蘭学のこの書も全く陽の当たらないものとなってしまったようである。

2017年7月22日土曜日

日本馬政史(一)の馬医・伯楽

「日本馬政史」は社団法人帝国競馬協会、昭和三年五月二十五日発行の不許複製の非売品の書物である。刊行の際の委員は陸軍中将小畑豊之助、陸軍少将石橋正人、獣医学博士新山荘輔、獣医学博士丹下謙吉、獣医学博士勝島仙之介、獣医学博士須藤義衛門、獣医学士広沢弁二、陸軍獣医監内村兵衛、陸軍省馬政課長騎兵大佐市瀬源助、法学士芝山雄三、農林省畜政課長木嶋駒蔵。史料の蒐集先は帝国大学文学部史料編纂掛、宮内省図書寮。宮内省主馬寮。内閣文庫。農科大学。農林省。陸軍省。東京偕行社。上野、日比谷図書館。小笠原伯爵邸。この他に、南部、仙台、津軽、九州関西方面に出張、各種馬所、種馬牧場、種馬育成所都道府県並びに各地産馬組合。
「日本馬政史第壹巻」は有史以前から安土桃山時代までの事が書かれているが、この中に橘猪弼の名は無い。個人名として登場する馬医・伯楽は「吾妻鏡」にある承久三年の友野右馬允遠久、
「兼山記」天正五年の伯楽・道家弥三郎、天正元年「療馬図説写本」の桑嶋新左衛門尉仲綱、「蓋囊抄」文安期の小河乗澄、肥後国平の仲国、安国、眼心である。

2017年7月16日日曜日

大正時代の獣医学雑誌「現代の獣医」

編集兼発行人は山崎英胤である。
現在の獣医師法は戦後占領軍司令部によって制定されたものである。その前の旧法「獣医師法」にも獣医師の名称があるので、この名称は何時から使われ始めたかを調べてみた。外国の制度を取り入れて明治十八年に免許規則が布告された時は『獣医』で、陸軍の馬医と従前の伯楽以外は、お雇い外国人教師も皆『獣医』であった。やがて、軍の馬医は陸軍獣医と名称を変更するが、法律上の職業名は民間と同じ『獣医』である。従って、大正期の獣医学雑誌を読むと、農学士、農学博士、獣医学士、陸軍一等獣医の名はあっても獣医師の名はどこにもない。大正期になって中等学校の中でも獣医養成が出来るようになると、地方獣医の技術は益々低下し、終には農民の評価は近世の伯楽以下になったと、現代の獣医には記されている。この能力低下の問題を解決するために新しい獣医師制度が作られるのが大正十五年四月六日の法律第五十三号である。

2017年7月13日木曜日

小澤温吉の馬医、伯楽、獣医

明治十八年の「大日本獣医会誌」創刊で『我邦維新前に於いては真性の獣医なく唯に伯楽及び馬医なる者ありて・・・陸軍省に於いては明治五年地方有力の馬医を徴して軍馬の衛生治療の事を司らしめ同七年に佛国陸軍獣医アンゴーを聘して獣医生徒を教育し内務省に於いては明治九年英国獣医ドクトル、マッケブライドを農商務省に於いては同十四年独国獣医ドクトル、ヤンソンを聘して前後数十名の生徒を養成して・・・・』と記している。小澤温吉は明治十二年陸軍馬医学舎の卒業で、同期は今泉六郎、黒瀬貞次、一柳直宰、柳沢銀蔵等々。
我国の獣医学の源流はフランス式軍馬医学に発するとする。従来の伯楽の技術は蹄鉄工の仕事であるとする。

2017年5月5日金曜日

平仲国とは

「日本馬政史」の徳川幕府の馬医の所に桑嶋流「伯楽病理口伝」の事が述べられて次のような系図が示されている。
九州肥後平仲国息安国ー伊勢国源道義息尚義ー越後国平盛頼ー備前国平義親ー奥州藤原心海入道息仲時、仲綱の母、息藤原仲綱ー桑嶋平六息藤原宗綱ー天下一桑嶋肥前掾藤原実綱ー桑嶋采女正藤原重綱
と同時に小河乗澄は「仮名安驥集」を、平仲国・安国・眼心は「仲国百問答」を著したとしている。これらの出典は「本朝武林原始」とするので、検索すると、享保八年の日夏四郎左衛門繁高「本朝武林原始」巻第五馬事之部馬医に『肥後国に平仲国といふ馬医の上手ありその子に安国眼心とて二人あり・・・』
 一方、白井「日本獣医学史」や山脇「日本帝国家畜伝染病予防史」、深谷「獣医の古説」では『肥後の硯山平仲国、桓武帝延暦の時入唐して大延に学び・・・』とする。
学而不思則罔